平安時代に盛んになった「石山詣」
現在も観音さまのもとへ多くの参拝者が集まる
平安時代になって観音信仰が盛んになると、京の都からほど近い観音霊場として、宮廷の女人たちのあいだで、観音堂に参籠し読経しながら一夜を過ごす石山詣が流行しました。
紫式部はここに参籠して「源氏物語」の想を練り、また、清少納言、和泉式部、『蜻蛉日記』の藤原道綱の母、『更級日記』の菅原孝標の女なども石山寺のことを日記や随筆に記しています。石山寺は、芸術家や文人たちに深い感応を引き起こし、女流文学の開花の舞台となった。その後も松尾芭蕉や島崎藤村をはじめ、石山寺を慕う文人たちを多く集めています。
平安時代は皇族や貴族の方が中心でありましたが、江戸時代に入り源氏物語が描かれた浮世絵の影響で庶民にも広がり、多くの人々がご利益を求め現在も続く「石山詣」が盛んになり大いに賑わいました。