観音さまについて
「座主のお話」として文章をこちらに載せるのは、私にとって今回が初めてのことになります。
今年の四月十日に、晋山奉告法要を終えました。
「晋山(しんざん)」というのは、住職が新たに山に入ることをいいます。
そして、それをお寺の仏さまに申し上げるというのが晋山奉告法要です。
ご縁をいただき、浅学非才の身ではありますが、この度かたじけなくも座主に就任いたしました。
歴代の先徳がお寺を守ってこられたことを思うと、身が引き締まる思いです。
石山寺を多くの方に神仏とのご縁を結んでいただけるような、安寧の場所にしていきたいと思っております。
こちらのコーナーでも、色々なお話しを載せていきたいと思っています。
なかなかお参りに来られない方も、ぜひともお読みいただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
大本山石山寺 第五十三世座主 鷲尾龍華
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古来より石山寺は三観音の一つとして知られてきました。
観音さまという仏さまは、昔から日本人にはなじみがあるのではないかと思います。
お地蔵さん、お不動さんと並んで、「観音さん」とも親しまれています。
皆さんは、なぜ「観音」というお名前なのかご存知でしょうか。
なぜ、「音を観る」なのか。
正式には、観音さまは「観世音菩薩」といいます。
「観世音菩薩」について書いてあるお経に、「観音経」があります。
「観音経」は、「妙法蓮華経(法華経)」の第二十五章「普門品」が独立して読まれるようになったものですが
「観世音菩薩は、なぜ観世音菩薩というお名前なのですか?」という質問から始まります。
冒頭には、答えが端的に書かれています。
世の中にたくさんの人がいてそれぞれに苦しみを受けているのに
観世音菩薩は人々が観世音菩薩の名を唱えるのを即時に観じて
その人々を解脱させるのです。
解脱させるというのは、救うということ。
私たちが苦しい状況の時に、観音さまの名を唱えれば、その音によって私たちのほうを向いてくださるのです。
われわれが「観世音菩薩」と呼ぶ声を観音さまが聞き、
その声によってわれわれを救済されるために動かれるのです。
また、聞くという行為も「観る」という字によって表されます。
世の音、つまり世の中で助けを求めている人の声を、慈悲の眼によって観るから、
観世音菩薩というのです。
ここで大事なのは、
祈りは一方通行ではないということです。
仏さまという存在は、呼びかけなければいないにも等しい。
呼びかけない人にとっては、神も仏もないでしょう。
そして、呼びかけた人には必ず救いをもたらされます。
人が呼びかけることによって初めて、その働きが生まれるのです。
苦しみの中にいるとき、頼るところのない心を観音さまに向けていただき
観音さまにお任せする心をお持ちいただけたなら幸いです。
南無観世音菩薩