観音の寺

石山寺の本尊は秘仏、二臂如意輪観世音菩薩。安産・福徳・縁結びに霊験あらたかな観音さまとして、古来より多くの人の信仰を集めました。

観音信仰の寺

本尊如意輪観音半跏像 画像
本尊如意輪観音半跏像(平安時代/重要文化財)
硅灰石と多宝塔 画像
硅灰石と多宝塔

古来より観音霊場として信仰を集める

石山の地は古来より風光明媚な自然環境に恵まれた住みよい場所であると同時に、奇岩 硅灰石の上に聖なるものが降り立つ「観音垂迹の地」とされました。その硅灰石の上に、本尊 二臂如意輪観世音菩薩は坐しています。

安産 福徳 縁結に霊験あらたかな観音さま

本堂内陣の厨子の中に秘仏として安置されている本尊 如意輪観世音菩薩は、安産・福徳・縁結のご利益をいただける観音さまとして信仰を集めています。
また、日本で唯一の勅封秘仏であり、33年に一度と天皇御即位の翌年に御開帳される習いになっています。33という数字は『妙法蓮華経』普門品(『観音経』)にちなむもので、観音は衆生を救済するために33の姿に化身するという記述に基づいています。左足を下げる半跏のお姿で、一丈六尺(5.3m)の高さを持つお像です。右手に蓮華の茎を持ち、左手は膝の上に仰向け、硅灰石の上に坐しています。
安産・福徳・縁結びに御利益があるといわれ、現在も多くの人々の信仰を集めている石山の観音さまです。

如意輪観音の広大な慈悲

石山寺の本尊である如意輪観音は、六観音のうちのひとつで、通常は六臂(六本の腕)のお姿で表されます。六本の腕には、「六道の衆生を救う」という意味が込められていますが、石山寺の如意輪観音さまはより古い形の、二本の腕のお姿です。

観音信仰が盛んになった理由のひとつに、その現世利益という性格があります。『観音経』には、「観音を念じれば、いかなる窮地に立っても救いが訪れる」と説かれており、観音が現世の人々を苦難から救おうとする大慈悲の心が表されています。また、如意輪観音の持つ如意宝珠は、願いを意の如く聞き届けてくれる不思議な珠です。この世での願いをかなえてくれる観音さまは、奈良時代から人々の心の拠り所であったことでしょう。

御朱印・御詠歌

御朱印

石山寺 本尊 御朱印 画像
石山寺 本尊 御朱印

御詠歌

石山寺 本尊 御朱印 画像

後の世を 願うこころは
かろくとも ほとけの誓い おもき石山

観音さまの功徳を讃じた「御詠歌」

御詠歌は、西国三十三所観音霊場の中興の祖である花山法皇が詠まれたと伝えられる歌で、それぞれの霊場の観音さまの功徳を詠んだものです。「後の世を 願うこころは かろくとも ほとけの誓い おもき石山」というこの歌は、石山の観音さまの悲願を表しています。

石山詣

平安時代に盛んになった「石山詣」
現在も観音さまのもとへ多くの参拝者が集まる

平安時代になって観音信仰が盛んになると、京の都からほど近い観音霊場として、宮廷の女人たちのあいだで、観音堂に参籠し読経しながら一夜を過ごす石山詣が流行しました。

紫式部はここに参籠して「源氏物語」の想を練り、また、清少納言、和泉式部、『蜻蛉日記』の藤原道綱の母、『更級日記』の菅原孝標の女なども石山寺のことを日記や随筆に記しています。石山寺は、芸術家や文人たちに深い感応を引き起こし、女流文学の開花の舞台となった。その後も松尾芭蕉や島崎藤村をはじめ、石山寺を慕う文人たちを多く集めています。

平安時代は皇族や貴族の方が中心でありましたが、江戸時代に入り源氏物語が描かれた浮世絵の影響で庶民にも広がり、多くの人々がご利益を求め現在も続く「石山詣」が盛んになり大いに賑わいました。

瀬田川対岸から見た石山寺 写真
瀬田川対岸から見た石山寺

西国三十三所観音霊場 第十三番札所

日本で最も古い歴史をもつ巡礼の札所

石山寺が第十三番札所となっている西国三十三所巡礼は、近畿を中心に2府5県にまたがり、約1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路です。養老2年(718)、冥途で出会った閻魔大王から宝印を授かり、人々に観音の功徳を広めるように託宣を受けた徳道上人が草創したのが西国三十三所です。平安時代、花山法皇が再興し、西国三十三所の観音霊場が選定されたと伝わります。令和元年(2019)5月20日に、令和元年度の「日本遺産」に西国三十三所が認定されました。このたび登録されたテーマは『1300年つづく日本の終活の旅〜西国三十所観音巡礼〜』です。人生を通していかに自らの生と向き合うかを考える、究極の終活が達成できる旅を、観音さまは昔も今も変わらず見守っています。

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