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石山多宝くんの「おうちで紫式部展」

2021年5月8日石山多宝くんの「おうちで紫式部展」

【番外編】おうちで特別拝観 光堂

みなさまこんにちはなのじゃ!
今回は光堂で行っておりますあお若葉(もみじ)の競演の特別拝観について紹介するのじゃ!

あお若葉(もみじ)の競演の特別拝観 光堂

さて、この度公開する光堂といえば、
春には梅と桜と水仙、その後も牡丹や芍薬の見られるお堂なのじゃ

山のかなり上の方にあって、近くには第3梅園、源氏苑と紫式部像があるのじゃ

現在の堂宇は平成20年(2008)、東レ株式会社様の寄進によって建立されたのじゃ
本堂と同じ懸造のお堂なのじゃ

元々は昔に同じ名前の「光堂」というお堂があったようなのじゃが、
かつての光堂がどこにあったのか、いつ失われたのか、詳細は不明なのじゃ

たとえば「石山寺縁起絵巻」巻6第2段、朗澄律師(1132~1209)の段には
「当寺の西に当たりて高き山あり 当寺号光堂/其向之山也」とあるのじゃ

これでは何のことかわからないのじゃ

江戸時代に編纂された『石山要記』にも光堂の記事があるのじゃ
それによると
・九条道家が建てたお堂に阿弥陀如来像を安置した説
(石山寺縁起絵巻にも寛喜2年(1230)8月、
九条道家が娘・藻壁門院の安産祈願をした話があるのじゃ)、
・正応5年(1292)某かによって堂宇が寄進され、そこに快慶作の阿弥陀如来像を安置した説
が記されているのじゃ
『石山要記』によれば、鎌倉時代には光堂があったみたいなのじゃ

光堂特別拝観でお参りいただけるのは
鎌倉時代の阿弥陀如来坐像、
旧多宝塔の本尊と伝わる大日如来坐像(平安時代、重要文化財)、
淀殿の寄進により慶長年間(1596~1615)に造像された如意輪観音半跏像(本堂旧前立尊)じゃ


阿弥陀如来坐像 木造漆箔・十二世紀後半
今は所在のわからない、かつての光堂の本尊であると伝えられているのじゃ
現在の光堂を建立の際、本尊として安置したのじゃ
往生者を極楽浄土に迎える、来迎印を結ぶ阿弥陀如来像じゃ
衣を偏袒右肩(へんだんうけん)に着け、蓮華座の上に結跏趺坐(けっかふざ)したお姿じゃ
『石山要記』阿弥陀如来像の項には「光堂の本尊と伝わる春日仏師の作、または古い記録によると正応5年12月25日、安阿弥(快慶)作の阿弥陀如来像を内陣に安置したとあり、それがこの像のことか」とあって詳細は不明なのじゃ


大日如来坐像(重要文化財)木造彩色・九~十世紀
多宝塔の旧本尊であったと伝わるお像なのじゃ
胸の前で智拳印(ちけんいん)を結ぶ金剛界の大日如来じゃ
両手の臂までを含めて一材から造り、背中側から内刳(うちぐり)が施されているのじゃ
木造のお像なのじゃが、表面には乾漆像に使われる木屎漆(こくそうるし)による塑形があるのじゃ
がっしりと顎の張ったお顔立ち、体つきも角張って奥行き深い造形なのじゃ


如意輪観音半跏像 木造金泥彩色・慶長年間(1596~1615)
本堂本尊の旧お前立さまなのじゃ
御本尊さまと同じ二臂(にひ/二本の腕)、岩座の上の蓮華座に座って左足を垂下するというお姿じゃ
この像は淀殿のご寄進によって造られたのじゃ
肉身は赤漆の上から金泥彩、衣服や天衣には蓮華唐草(れんげからくさ)、裙(くん)には唐花文入りの円文が施され、金銅透彫(こんどうすかしぼり)の宝冠や瓔珞で荘厳された、非常に華やかなお像なのじゃ

石山寺公式YouTubeチャンネル「石山寺歴史探報」の第2回は光堂の仏さま特集なのじゃ!
こちらもご覧くださいなのじゃ

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