春季「石山寺と紫式部」展 より(4)
現在開催中の春季「石山寺と紫式部」展。
今季は、
「『源氏物語』の都(みやこ)と鄙(ひな)
付:光明皇后千二百五十年御忌によせて」
というテーマのもと、
石山寺の宝物や、紫式部と『源氏物語』を題材にした作品を
展示しております。
このブログでは、現在展示中の作品のうち、
数点を選んで、ご紹介してまいります。
第4回目は、光明皇后御筆「雑寶蔵経」(重要文化財)です。
(写真は巻第四)
今年は平城遷都1300年、光明皇后1250年遠忌の年にあたります。
そのことにちなんで、「『源氏物語』の都と鄙」というテーマの他に、
「光明皇后千二百五十年御忌によせて」という、
もう一つのテーマの展示も行っています。
石山寺のある近江は、奈良との関係が深い場所です。
古来より、奈良から宇治を経て、
瀬田川沿いに奈良の文化が運ばれてきました。
「石山寺縁起絵巻」によると、石山寺の創建は、
聖武天皇が、東大寺に金銅の廬舎那仏を建立するにあたり、
必要な黄金を得るため、良弁僧正に祈らせたことに始まります。
金峯山に籠って蔵王権現のお告げを受けた良弁僧正が、
石山に草庵を建て、天皇の念持仏を岩の上に安置して祈祷したところ、
間もなく陸奥の国から金が掘り出され、大仏は完成しました。
そこで、この地を寺としたのが石山寺です。
聖武天皇の勅願の寺である石山寺には、
質と量において日本一ともいわれる「石山寺一切経」が伝わっています。
その中に、聖武天皇と、皇后である光明皇后、
お二方のお子さまである孝謙(称徳)天皇の写経が含まれています。
この度展示した「雑寶蔵経」(現在は巻第五を展示中)は、
篤く仏教に帰依された光明皇后が、
天平12(740)年5月1日に、
父藤原不比等、母橘三千代のために発願書写させた写経で、
「五月一日経」と呼ばれています。
光明皇后は、1250年前の天平宝字4(760)年6月7日に、
お亡くなりになりました。
お三方の筆跡が石山寺に残されているのは、
決して偶然ではないでしょう。
春季「石山寺と紫式部」展 より(3)
春季「石山寺と紫式部」展 より(2)
春季「石山寺と紫式部」展 より(1)