「見ぬ世の友」に出会う
おはようございます。
台風で被害を受けられた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
この度の台風はいつまでも日本にいるようなおかしな台風で、
当山も昨日から閉門するかどうかの判断をしておりますが
幸い、暴風警報や特別警報も発令されておらず、開門しています。
引き続きどうぞお気を付けて、皆さまがご無事で過ごされますことを
祈念いたします。
この三年ほど、講演や法話の機会をいただくことが本当に多くなりました。
浅学菲才の身にしてもったいないことと思いながら、その機会には精一杯の話ができるよう努めてまいりました。
しかしながら、その度に「今の話は仏法を誹っているのではないか」と自省することが多くあります。
「わかりやすく話す」ことで、安っぽく聞こえることもあるでしょうし
また仏法について私の話し方ひとつで、重みのない言葉に聞こえるのではと、悩むことも多くあります。
そんな時には、本来であれば師匠に相談するのがよいのですが
私の師はすでに亡くなっております。
そこで色々な、私の知る限りの人生の師にお話しを伺ったり、
また、先人たちが残されたたくさんの本を読むことを決めました。
吉田兼好の『徒然草』に、「見ぬ世の友」という言葉があります。
古い本を読んでいると、過去の人々と出会っているような気分になる、というような文脈で登場する言葉です。
私自身も、本を読んでいるうちに「見ぬ世の友」を感じることが多くなりました。
書いてある文章を読むと、会ったこともない昔の人が、自分と同じような悩みを持っていたり、
同じ道を歩んでいることがわかるからです。
そして、読むことによって自らと照らし合わせ、進む方向性を見出すこともできるのです。
人には孤独に陥る瞬間が必ずあります。
それは周りに人がいても、にぎやかな場所にいても、必ず起こります。
そんな孤独に耐えられないときはどうしたらよいか、と考えたとき、
一つの答えとして、本を読むのがいいという結論に至りました。
本は、誰かが何かを伝えるために書いたものです。
実際に会ったことがなくても、言葉を通じて、その人と対話することができます。
そして知らないうちに、作者と友だちになっていることもあります。
そんなときには、自分は孤独ではないと知ることができるのです。
「見ぬ世の友」という言葉は、お世話になっている研究者の先生から教えていただきました。
孤独な時、悩む時には本を読むとよいでしょう。
友は、きっとあなたを助けてくれるはずです。